古本屋で「悪の華」がでていたが、
ボードレールは昔なにかを読んでどうしても駄目だった記憶があるので、買って来なかった。
詩集はたまにすごく読みたくなる。
いままでよんで覚えている海外の詩集。
コクトーはきらいじゃない。
ヘッセはひとつふたつすき。
ポーはよみなおしたい。
ホイットマンはあたまこんがらかった。
ヒメネスとサリーナスはかなりすき。
ジャレもすき。
リルケよりはハイネがすきで、プーシキンもわりとすき。
なかよしだったつか恋人だったつか、ヴェルレーヌのほうは大好きなのにランボーはなんかだめだ。
ヴェルレーヌは、堀口大学のあの訳のせいかもしれない。
名訳って詩はたしかにある。
もとより好いかもしれないくらいの訳。
でも、どんなに名だたるひとが翻訳しても、そんなのは一冊のうちにせいぜい1つ2つか、大概はひとつもない。
やはり、詩は原書でよまなければならないのじゃないかと最近ひしひしと感じる。
なぜというに日本語でかかれた詩は、外国の言葉を日本語に直したものよりも、やはり日本人が日本語として作ったもののほうがよほど美しい。
今まであんまりそう思わなかったけど、最近とみにそうおもう。
2010年12月20日月曜日
2010年12月11日土曜日
2010年12月9日木曜日
2010年12月8日水曜日
2010年12月6日月曜日
先日のNASAの発表について。
肩すかしだ、期待はずれだ、というコメントを多くみかけるけども、
50年代のSFに(これは聞いた話で、邦訳はされていないそうだけど)
こんな話があるそうだ。
あるとき、宇宙船が二機接近した。
片方は地球の文明のもの、
もう片方は、未知の文明のもの。
宇宙船のクルーたちは、お互いの環境を調べるために、
ながいながい通信を行う。
お互いの気候や、風土、
発見や、文明。
話し合ううちに、その未知の文明の、顔をみたこともない女性と、
クルーの男性のうちの一人が恋に落ちるのだけれど、
最後に、地球人のクルーは、相手がケイ素生物で、
呼吸する気体はおろか、
直接触れることさえお互いにとって生命の危険があることだと知った。
2つの文明のクルーたちは、お互いのために「出会わない」ことを
選択するが、最後にまたいつか会おうと言って別れる。
以前から予想をされていた事体かもしれないけれど、
我々がこの宇宙のなかで孤独ではないという可能性が、
科学技術の裏付けをもって高まったというなら、
それはとても大きな発見で、
そして、ひどくロマンチックなことだと思わないか。
50年代のSFに(これは聞いた話で、邦訳はされていないそうだけど)
こんな話があるそうだ。
あるとき、宇宙船が二機接近した。
片方は地球の文明のもの、
もう片方は、未知の文明のもの。
宇宙船のクルーたちは、お互いの環境を調べるために、
ながいながい通信を行う。
お互いの気候や、風土、
発見や、文明。
話し合ううちに、その未知の文明の、顔をみたこともない女性と、
クルーの男性のうちの一人が恋に落ちるのだけれど、
最後に、地球人のクルーは、相手がケイ素生物で、
呼吸する気体はおろか、
直接触れることさえお互いにとって生命の危険があることだと知った。
2つの文明のクルーたちは、お互いのために「出会わない」ことを
選択するが、最後にまたいつか会おうと言って別れる。
以前から予想をされていた事体かもしれないけれど、
我々がこの宇宙のなかで孤独ではないという可能性が、
科学技術の裏付けをもって高まったというなら、
それはとても大きな発見で、
そして、ひどくロマンチックなことだと思わないか。
登録:
投稿 (Atom)