2010年12月20日月曜日

訳詩と邦詩

古本屋で「悪の華」がでていたが、
ボードレールは昔なにかを読んでどうしても駄目だった記憶があるので、買って来なかった。 

詩集はたまにすごく読みたくなる。 
いままでよんで覚えている海外の詩集。 
コクトーはきらいじゃない。 
ヘッセはひとつふたつすき。 
ポーはよみなおしたい。 
ホイットマンはあたまこんがらかった。 
ヒメネスとサリーナスはかなりすき。 
ジャレもすき。 
リルケよりはハイネがすきで、プーシキンもわりとすき。 
なかよしだったつか恋人だったつか、ヴェルレーヌのほうは大好きなのにランボーはなんかだめだ。 
ヴェルレーヌは、堀口大学のあの訳のせいかもしれない。 


名訳って詩はたしかにある。 
もとより好いかもしれないくらいの訳。 
でも、どんなに名だたるひとが翻訳しても、そんなのは一冊のうちにせいぜい1つ2つか、大概はひとつもない。 
やはり、詩は原書でよまなければならないのじゃないかと最近ひしひしと感じる。 
なぜというに日本語でかかれた詩は、外国の言葉を日本語に直したものよりも、やはり日本人が日本語として作ったもののほうがよほど美しい。 
今まであんまりそう思わなかったけど、最近とみにそうおもう。 

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